icanology
kojiki

180mm×260mm×29mm、金属、木、アクリル絵具、2015/クリックで拡大できます。

書物を立体化するQ-bookシリーズの4作目は、『古事記』。
『古事記』は、日本最古の歴史書とされ、太安万侶の序文に続いて、上中下の三巻に分かれて、神代の時代から推古天皇に至るまでの日本の歴史と神話が記述されています。それまでは口伝で伝えてきた内容を、和銅5年(712)に太安万侶が漢文で記述して、元明天皇に献上したということです。

原本はとっくに失われていて、現在、最古の写本とされるもの(真福寺本)が、名古屋の大須観音(真福寺)に伝えられています。この写本の成立が1372年(南北朝時代)で、かなり新しいわけですが、岩波の古典文学大系版は、さらに新しい享和3年(1803)発行の『正訂古訓古事記』を底本としています。
Q-book 化したのは、この古典文学大系版の古事記上巻冒頭部分(p.50)で、字数は210字。天御中主神(アメノミナカヌシ)から伊邪那美神(イザナミ)の誕生までです。

以前のQ-bookシリーズでは、ラテン語(ガリア戦記)は単語の文字数を高さに、楽譜(14のカノン)は音符の高低を高さに、それぞれ変換して制作しましたが、今回は漢文なので、高さのウェイト付けが難しく、悩みました。
結果、すべての文字を平等に扱い、高さは変えず、一つ一つの文字を大事にする、具体的には、文字を「座らせる」ための「座」を用意する……という発想になりました。これには、経文などで、一つ一つの文字を蓮華座に座らせている表現が参考になりました。

今回は、京都の「蕎麦板」というお菓子の金属の箱の中につくりこんでみました。 5mm 厚のバルサ材を10×14mmに切断し、かまぼこ状に削ったものを文字が乗る「座」とし、箱が銀色なので、銀色のリキテックスで塗装しました。文字色が藍色なのは、別に意味があるわけではなく、私が好きなリキテックスのフタロシアニンブルーをなんとなく使いたくなったからですが、シルバーメタリックにはよく合うと思います。
ところどころに、座が藍色で、文字がゴールドの部分があるのは、ここが、文節の文頭であることを示しています。

とりあえず、原文を、対照できるように掲げておきます。(右上からタテに読む。作品に使用した書体は、中国の古代文字)

古事記原文

天と地がはじめてひらかれたときに、高天原に現われられた神様の名は、天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)でした。次に、高御産巣日神(タカミムスビノカミ)が、さらに神産巣日神(カミムスビノカミ)がご出現になりましたが、この3柱の神々は、すべて、対の神様を持たない独神(ひとりがみ)となって、現象界から御姿を隠されました。

次に、国土がまだできたばかりで脂(あぶら)のように浮き、まるでクラゲが漂っているような状態であったとき、葦の芽が萌えいずるように出現なさった神様が、宇摩志阿斯訶備比古遅神(ウマシアシカビヒコヂノカミ)。そして、次に現われられたのが天之常立神(アメノトコタチノカミ)でした。この2柱の神々も、独神(ひとりがみ)として、現象界から御姿を隠されたました。
ここに現われられた5柱の神々を、別天神(ことあまつかみ)と申しあげます。これは、天神(あまつかみ)の中でも特別な神々という意味であります。

次に出現されたのは、国之常立神(クニノトコタチノカミ)と豊雲野神(トヨクモノノカミ)であり、この2柱の神々も、独神(ひとりがみ)として、現象界から御姿を隠されたました。
次に現われられたのは、宇比地邇神(ウヒヂニノカミ)と妹須比智邇神(イモスヒヂニノカミ)、さらに角杙神(ツノグヒノカミ)と妹活杙神(イモイクグヒノカミ)、そして意富斗能地神(オホトノヂノカミ)と妹大斗乃弁神(イモオホトノベノカミ)であります。さらに、於母陀流神(オモダルノカミ)と妹阿夜訶志古泥神(イモアヤカシコネノカミ)、そして伊邪那岐神(イザナキノカミ)と妹伊邪那美神(イモイザナミノカミ)がご出現になりました。

以上、私のいいかげん訳を添えて、原文をご紹介しました。 このあとは、イザナミ、イザナギの「国生み」と「神々を生む」働きへと続いていきます。したがって、この部分は、よく知られている「日本神話」の前に付いた、ちょっとどう解釈していいかわからない部分であり、イザナミ、イザナギを除いて、ここに出てくる神々をお祀りしている神社も少ないようです。けっこう理念的というか、もっといえば「つくられた感」がある……と感じる人も多い部分ですが、私は、「ひとりがみとなりまして、みをかくしたまいき」というところがけっこう気になります。それと、オモダルノカミの性格とか……

日本神話のお話はこれくらいにして、最後に、この作品の箱に使った「蕎麦板」というお菓子について、ちょっと書いておきます。

このお菓子は、小麦粉、砂糖、卵、ソバ粉、ごま、食塩を材料として、手打ちソバの要領で板状に伸ばした生地を短冊状に裁断して焼き上げたもののようです。食べてみると、薄くて固いソバぼうろみたいな食感ですが、八つ橋みたいでもあり、印象としては若干中途半端です。「ソバ」からすると甘すぎるし、お菓子としては地味すぎる。もっと「ソバ」の方に振っても良かったのでは、とも思いますが。

このお菓子をつくっている尾張屋という店は、1465年(室町時代)に、尾張の国から京都に移って、菓子屋をはじめたといいます。その後、江戸時代(1700年頃)に蕎麦屋もはじめ、現在は、蕎麦屋と菓子屋の両方で、京都市内に4軒のお店があります。 蕎麦は禅と関連が深く、このお店も、臨済宗のお寺(相国寺、建仁寺、妙心寺)と縁が深いそうです。

蕎麦そのものの伝来は、奈良時代以前にさかのぼるそうですが、『類聚三代格』によると、養老7年(723)に蕎麦栽培を奨励する太政官符があるとのこと。『古事記』の編纂は、先に書いたように和銅5年(712)なので、蕎麦と古事記は、11年のニアミス?ということになります。

蕎麦が、現在のように麺のかたちで食べられはじめたのは、16世紀末から17世紀はじめ頃(戦国末期から江戸初期)らしく、意外に新しいという印象。蕎麦を麺として食べる食習慣は、ほぼ江戸時代に形成されたものといってもいいのでしょう。 このお菓子をつくっている尾張屋も、最初はお菓子屋さんとしてのスタートでしたが、蕎麦屋をはじめたのは、上記のように江戸中期でした。

16代目の現店主の稲岡亜理子さんは、一風変わった経歴の持ち主で、もとは世界中を旅する写真家だったとか。アイスランドで「水・石・苔という荒涼とした自然に魅了され」、それが「私の中に深く眠っているルーツ」を呼び覚まし、「水・石・苔はまさしく17歳まで過ごした京都のお寺の庭などの風景に通じるものでした」と書いておられます。

ということで、今回は、尾張屋さんの「蕎麦板」の、なぜか銀色の金属ケースの中に、『古事記』をつくりこんでみました。できあがった印象としては、かなりメタリックで、未来派的になったかな……と。 かまぼこ型の「座」が、パソコンのキーボードのようにも見えてきて、これは、『古事記』専用の入力用キーボードにもなるのかも?