第1身体のこと 1〜12

creatorsbankというウェブサイトに、calamar名で投稿した文章です

1.

第1身体。ファースト・ボディ。
人の肉体のこと。

これに対し、第2身体とは、セカンド・ボディ、衣服やさまざまなギア、ときに乗り物なんかのこと。(モビルスーツもこれにはいる。宇宙船なんかも)

人は、おのれの第1身体を養い、これを喜ばせるために、ほとんどその一生を費やす。

第1身体を忘れられたら、どんなにかいろいろなことができるかしれない。
でも、だめ。
第1身体は、強力に迫ってくる。

第1身体があるから腹が減るし、寒かったり暑かったり……
第1身体の司令塔である脳は、これだけでエネルギーの25%を喰ってしまう。
しかも、純粋ブドウ糖でないと受けつけない……

東京大学の博物館には、夏目漱石の脳が保管されているときいた。
本人がもういない第1身体の、しかも脳だけ……
東京大学って……ちょっとオカルト??

お正月には、第1身体にしっかりと餅を喰わせた。
おせちも。お酒もたっぷり……

一年、もってくれよ……

2.

第1身体だからといって、全部自分のものであるわけではない。
一番それを感じるのは生殖器の部分で、これは、自分のためというよりは子々孫々、セルフィッシュ・ジーンのためのものであります。

身体の他の部分も、結局自分のものといいきれるところは、ない。
人が、モノを喰って、それが身体になっている以上……身体は、「別のモノ」から成り立っている。
一時期、自分のモノのような顔をしているけれど……すぐに崩壊・排泄されて、他者となる。

第1身体が養う癌細胞は、もうすでに他者。
何兆もの腸内細菌も、善玉悪玉含めてすべて他者。
じゃあ、健全な自分の細胞は、果たして自分のものなのだろうか……

第1身体を脱いだら、人は、何になるんだろう……

3.

透明人間は、どこから透明になるの?

以前、こんなことを考えました。

透明人間がなにかをたべるとします。
ぱくんと口にほうりこんでも、ほっぺたが透明だから、食べた物は見えているはず。
咀嚼しているうちに、透明になってくるんでしょうか……
それとも、胃に入っても見えている??
腸内で、腸壁から体内にとりこまれて、はじめて見えなくなるのか……

逆に、透明人間が身体から出すものはどうなのか……
どこから不透明になって見えてくるんでしょうかね……。

一般的に、第1身体の境界面は皮膚だと思われていますが……
実は、もう一つ境界面がある。
それは……消化器官の壁です。

人間の身体は、位相幾何学的にいうならドーナツだそうです。
ドーナツの穴にあたるのが、消化器官。
その内壁は、皮膚と連続していて、内と外の境界をつくっている。

人間の身体で、免疫機能が集中するのが、皮膚と消化管の内壁だそうで……
自分と、自分でないものを区別するのが免疫機構だというなら、それは当然かも。

人間の消化器官の内壁は、植物でいうと根の部分だといった人がいた。
なるほど……どちらも、そこから養分を体内に取りこむ。
どちらも光のささない暗い領域にある点も共通しています。

人間の腸の内壁を広げると、なんとテニスコート一面分の広さになるとか。
皮膚を広げてもそんなにならないから、実は、境界面としては、消化管の内壁の方がはるかにメインなのかもしれません。

皮膚の状態は、目で見てわかる。背中も、鏡を使えば見られます。
でも、消化管の内壁は、ふつうでは見られない。

皮膚が荒れてくると……消化管の内壁にもなんか異常があるともいわれます。
ドーナツのように、外側も穴のまわりもみんなひとつながりだから、そうなるのかも。

ときどきくるんと裏返れると、いいのかもしれませんが……

4.

旅行なんかに行くとします。

知らないところへ行って、知らないものを見て、知らないものを食べる。
海外なんかにいくと、知らない言葉を聞いたりする……
実感!……と思っちゃいます。

でも、まてよ……
と、ここで、大きな疑問。

どこに行っても、私は私の第1身体の中にいるではないか……
どこにいっても、私は、私の第1身体から出ることができない。

旅行といっても、ケージに閉じこめられて行ってるようなもんです。
さて、このケージから出たら……世の中、どんなふうに見えるもんなのでしょう。

アストラル・プロジェクション、幽体離脱はオカルトです。
あれって、抜け出しているように見えて、やっぱりひきずっていると思います。
あれでは、私は満足できないなあ……

裸眼……という言葉がある。
メガネもコンタクトも付けないで見る。
でも、眼球自体が、とっても精巧な光学装置だ。
裸視……ということになれば、この光学装置自体を外す必要があるのか……
そうすると、世界はどのように「見える」のでしょうか?

いやいや、実は、視覚は脳で構成されているんだ……
そうすると、脳も外す必要がある。
裸思……ということになるのでしょうか……

魂というものがあるとするなら、それも外す。
裸魂のその先?裸在??
そのとき、私はなにになるんだろう???

第1身体が世界に関係する以上、なにか、世界に対して責任があるのかもしれませんね。

5.

第1身体は、モノの世界に属しているから、私にとっては「謎」です。

一応、思い通りには動くんだけれど……ときどき、だめです。

年をとると、この「だめ」が、けっこう増えてまいります……

ロボットのアシモくんなんかの動きを見ていると、ホント、だれか中に入っているみたいです。
でも、だれもいない……
アシモくんは、 第1身体のカタマリみたいなもの。
「ソフトが入っている」という言い方で、いいのかなあ……

映画『2001年宇宙の旅』のHAL。
彼の第1身体は、宇宙船ディスカバリー号そのものでした。
彼にとって、人間は、自分の第1身体に侵入してきた寄生虫みたいなもの??

今、地球上を覆っているネット。
この第1身体は、なんでしょう?
分散する無数の端末、そしてこんぐらかったケーブル……

全貌がだれにもわからないままに
よくわからない不思議な第1身体は、増殖し続けている……

6.

昔、オカルト本に、おかしなことが書いてありました。

超能力を持った祈祷師がいて、死んだ人の霊を呼び寄せるのだとか。

その人の場合、お得意さんは、息子や旦那さんを戦争で亡くした遺族。
南方戦線なんかで戦死して……死んだときの状況もわからない。遺族にとっては、ぜひとも知りたい。

で、祈祷師が人形をもってきます。
その人形を前に祈ると、人形がむっくりと……
起きあがって走り出し、突然ばったり倒れる。

「ああ、息子はこんなふうにして死んだんだ……」
遺族の方々は、心から納得して胸のつかえがすうーっとなくなる。
ということなのだそうです。

この話を読んで、思いました。

この祈祷師さん、死んだ人を再生できるんじゃ?
人形に、霊を入れて動かせるんだったら……
死んだばかりの人の前で祈れば、死体に霊が入ってやっぱり動くはず。
人形も死体も、モノには変わりがない。

とすれば……
こういう場合、それを「生き返った」といえるんだろうか??

肉体は自分の肉体だし、霊も自分の霊だし。
自分の霊が自分の肉体に入って自分の肉体を動かす。
これって、生きているときとどう違うんだろう……

第2身体は、けっこうわかりやすいですよね。
車を停めて、車から出る。
また車に乗って、走らせる。
明解です。

第1身体では、なぜ難しいのか……。
そもそも、第1身体に「乗る」って、どういうことなんだろう??

日々乗って、運転してるんですが……
わからないなあ……

7.

私の第1身体は、私にとって、闇です。
自分の背中さえ、見えません。

顔も……鏡をつかわないとだめ。
他の人のほうが、よっぽど私の第1身体を、よく見ていると思います。

内側は……
これはほんとうにブラックボックスです。
腹が痛いとか、頭が痛いとか……
ときどき不気味な信号を送ってくる。

百億光年先の星の光も、見える。
でも、自分の中は、見えない。

私は、私の、どこにいるんだろう?

統覚……の問題なのかな?とも、思います。

コンピュータのHALは、自分をディスカバリ号のどこにいると感じていたのか。
地球全体をおおうインターネットに「意識」というものがあるのなら、その「意識」は、自分がどこにいると感じているのだろう?

人の感覚は、なぜ「外向き」主体に、成り立っているのでしょう?

目が、くるんと内側を向いて、自分の中を見る、というふうになってないのは、なぜなのか?
まあ、まっくらだから、発光装置も必要かもしれません。

目が、くるんと裏返っている人をみかけたら……
「ああ、あの方は、今ご自分の中を見ておられるんですよ」
なんてね。

一日に何回か、時間をきめて
みんなが目を裏返して自分の内側を見る。
そういう内省的な国……
もうちょっと、みな、お利口に暮らせるのかも?
オソロシイ気もするけど。

8.

人の第1身体は、川面に映る月のよう。

月影の水は、たえまなく流れ入り、出ていくけれど
月は、月のかたちをたもっている。

今、私を構成している物資は、数年後にはほとんど残っていないでしょう。
でも、私は私
で、ありつづけます。

水面の月影の、きわの部分……
ここは、とても微妙だと思います。

川面に波がたつと、月影のきれいなかたちはくずれていく。
波がおさまると、また、きれいな月のかたちが現われる。

水面の月影は、それを見ている人がいなかったら、果たしてそこにあるのだろうか……
月影が、月影自身を見ているのか……
はたまた、天空の月が、水面に映るおのれの影を、見ているのか……

私は、私自身が「ある」と思っているけれど、それは、私が、私自身を「見ている」からなのか……
他から分別された「私」というものは、いったいどこに、成立しているのだろうか?

猫なんかだと、人間ほどには自分というものを、くっきりと見ていないのかもしれない。
人が猫を見るとき、その境界ははっきりとしている。
それは、しずかな水面にくっきり影を映す満月のように。

でも、猫が、自分自身や他の猫をみるとき
はたしてそのように、はっきりくっきりしているんだろうか……

小さな虫や、魚や、さらにプランクトンみたいになちゃうと、どうなんでしょう。

生命には、「免疫機構」があって、他から自身を守ります。

身体によそものが入ってくると、区別して、白血球を動員してこれを殺します。

でも……
これは、白血球という「自己」にとっては、少なくとも自分のためにならない自殺行為だ。
白血球自身が自分を守る免疫機構……こういうものは、ないのだろうか……

満月が雲に隠れると、水面の月影も、消えてしまいます。

9.

私が、自分の第1身体を意識したのは、いつからだったろうか……

いつのまにか、ここに、ありました。

意識しなくなるのは、いつごろからでしょうか……。

でも、今でも、一秒一秒、意識しているわけではない。
というか……意識しているときの方が、少ないのかもしれません。

寒い!と思うのは、私の身体が寒いのか、それともまわりの空気が寒いのか?
りんこが赤い。
これは、やっぱりりんごが赤いのであって、私の目(の一部)が赤い
ということは、あまり、考えられません。

視覚と暑い寒いでは、なぜこんな違いがあるんだろう……

昔、父の友人で、不思議なことをいう人がいた。

電車に乗っていて、自分の気分が暗く、ふさいでくると、お天気もどんより曇ってきて、景色も暗くなってくる。
自分の気分が明るく、楽しくなってくると、空も晴れ、景色も明るくなる。
この方は、結局精神病……ということで、入院されましたが。

感覚、気分、そしてそれらを意識すること……
これは、考えてみると不思議です。

感覚には、必ず、価値観がともなっている。
純粋にして客観的な感覚……というのは、あんまりないように思います。

見るもの、聞くもの、そして感じるもの……
すべてが、快不快の価値観に支配されている。

人の感覚は、最初から、強力なバイアスがかかった状態で、やってきます。
いいなあ……とか、やだなあ……とか。
そして、すぐに反応してしまう。

絵を見たり、音楽を聞いたりするときも、やっぱりそう。
「それが、どんなものであるか」を知る前に、好悪、快不快の感覚が、きます。

これって、幸せなことなのか、不幸せなことなのか……
「客観的」って、ホントは、どういうことなんでしょう??

10.

私の第1身体は、DNAからできています。
DNAは、チミン、グアニン、アデニン、シトシンの4つの塩基からなっている。
これは、私の身体だけではなくて、この地球上のいきものはすべてそうです。
これって……考えてみると、とても不思議なことじゃないでしょうか。

昔、こどものころに読んだ本。
「人がブタを食べても、なぜ人はブタにならないのか?」
というのがありました。

こどもにこんなことをきくなんて、ずいぶん変わった著者だなあ……と
こどもごごろに、思った。

消化・吸収……は、不思議です。

地上の生命が、みな4つの塩基を基本にしている……ということがなかったら……
いきものが、他のいきものの身体を食べるということは、なかったかもしれない。

塩基が共通していなかったら……
「消化」は、食べたものを、もっとばらばらにしないといけない
ということには、ならないだろうか?

生物学に詳しくないのでわかりませんが……
そんな気がします。

生命の基本は、秩序です。

やっぱり昔読んだ本に、生命のはじまりは「粘土」だと、書いてあった。
これって……土くれから生まれたアダムを思わせますが……
著者によると、粘土の中には、いのちのはじまりの秩序があるそうです。

でも……粘土の秩序は、4つの塩基の秩序とは別物です。
だから……人は、粘土を食べては生きられない。
鉱物は、消化できません。

ミネラルなのか……
でも、基本的には、他の生物の身体を食って、生き、生長する。
ようするに、DNAをばらして、自分のDNAに組み替える作業と考えていいのかな……


さて、わがやでは、もうすぐばんごはんです。
他の生物の身体を……
いただきまーす!

11.

幼稚園のころ……
キリスト教の幼稚園だったので、クリスマスにはイエス生誕の劇がありました。
年長のこどもたちが、イエスやマリアに扮して、ベツレヘムの一夜を……

私は、年少だったのでしょう、ただ見ているだけでしたが
天使の役の子が、舞台に出てきました。
天使には、羽があります。
その子も、背中に、みごとな羽をつけていた。
そのとき……

「ああ、かわいそう。あの子は、もう一生あの羽をつけたまま……」
そう、思った。

こどもだったので、手術で本当に羽を植えつけられた!
と、思ったのですね。

でも、そのとき……
なにか、えもいわれぬ快感が、全身を走った。
うーん……
こどものころからヘンタイだった……といわれても、もんくはいえません。

人体改造は、オソロシイ。

西洋バロック期には、カストラートという、去勢された男性歌手が……
たしかにボーイソプラノは、女声にはないものがある……とはいえ
よくやります。

ボディピアスとか刺青とか……
オソロシイ世界です。

でも、昔の中国では纏足に宦官に……
ユダヤでは、割礼。
どこの民族かしらないけれど、首にいくつもの輪っかをはめて伸ばしたり、下唇に巨大な円盤をはめたり……
よくやるなあ……と。

第1身体の改造は、オソロシイ。

ここまでして、第1身体を改造したい……というのは、いったいなんなんだろう?

ふしぎです。

12.

第1身体の最大の娯楽は、やっぱり銭湯
ではないかと。私は、思います。

家の狭い風呂じゃなくて、広い湯船につかれる。
これが温泉、露天風呂だと、なんにもいうことはありません。

お風呂代って、ふしぎなことに、だいたいコーヒー一杯のお値段といつもおんなじなんですよね。
今、銭湯でもスーパー銭湯でも、だいたい400円前後。
コーヒー代は、もうちょっと高いかな?でも450円くらい?
(地域によってちがうかもしれません)

コーヒーは、口の娯楽だけれど、銭湯は全身娯楽。
どっちか!といわれれば……やっぱり銭湯を選んじゃいますね。
コーヒーは、家でも飲めるし。

昔、街中に住んでいたころ、夕方近くになると、いつも風呂オケもって、近くの銭湯に出かけた。
途中に「かしわや」さんがあったので、ムネ肉一枚買う。
(帰りがけだと、閉まっちゃてるんで)

銭湯につくと、おじさんに頼んで、ムネ肉を飲物クーラーに預かってもらいます。
ここで……たっぷり一時間半をすごす。

風呂上りのいい気分で、ムネ肉をうけとって(ときどき忘れる)帰路。
とちゅうに、けっこう大きな本屋さんがあって、そこでまた立ち読み一時間。
ときどきは、買います(少女マンガの単行本が多かった。ときどき水木しげる)

で、家につくと、ムネ肉を焼いて食う。
買ってきたマンガを読みながら……ときにビールをやりながら……
食べたら寝ます。

至福の生活……でした。

今はもう、その銭湯はありません。
かなり高齢のおばあちゃんがやっていたかしわやも、とうにない。
私の図書館だった本屋さんも……ありません。

街は、どんどん変わっていきます。
私の、第1身体の思い出をのせて……