icanology
6つのエレメント_Quid

213mm×230mm×49mm、木、紙、布、ガラス、ゴム、砂、水、金属、粘土、石、空気 2013

この作品は、「地球はなんでできているか?」ということを考えようとしたものです。

この地球は、いろいろなものからできているように見えますが、そのエレメントをできるだけ絞りこんでいったとき、最後になにが残るのだろうか……そういうことを、作品としてつくるという思考をやってみたいと思いました。

世の中には、いろんな研究者がいて、いろんなことを考えます。そして、いろんなことを発見します。数学的な発見、物理学的な発見、化学、あるいは生物学的な発見……しかし、共通するのは、自分の発見が、そのままするっと「全宇宙」に通じる真理であると思いこむこと……というか、あえてそんなことまでも考えず、無意識的に「全宇宙」に通じると思う。もうそれは、ことさら問題にされるまでもない、アタリマエのこととしてそう思う。

しかし……本当にそうなんだろうか? 数学的真理も、物理学の公式も、もしかしたら最大限通用する範囲が「この地球」に限定されるのではないだろうか……こんなことをいうと、頭がおかしい?と思われるかもしれませんが、私はそう考えています。

この地球という星は、人間や、さまざまな生物や、山や川、海や空……そういうもので成り立っていて、「一つの圏域」をつくっています。そして、人間は、この圏域の外に出ることはできません。ロケットで宇宙に行けるじゃないか……といわれるかもしれませんが、ロケットの中は地球環境になってる。そして、ロケットの外に出るときは、宇宙服という「ミニ地球」に包まれています。ムキ身で「宇宙」に出た人は、やっぱりたぶんいません。

この作品は、人間にとって、「最大の世界」であるこの地球の構成を、エレメントを抽出することによって考えてみようとしたものです。

6つのエレメント_Quid

閉じると、全体は本のかたちになります。

まず、地球を構成するエレメントを、次の3群に分けました。
第Ⅰ群……質料のエレメント(物質的な構成要因)
第Ⅱ群……形相のエレメント(形態的な構成要因)
第Ⅲ群……生命のエレメント(精神的な構成要因)

次に、それぞれの群について、さまざまな要素を対比的な2項にまとめるとどうなるだろうということを考えました。

★第Ⅰ群の質料のエレメントの対比項
砂……地球の本体を構成する物質群。鉱物と金属。
水……地球の本体を被服する物質群。水圏と大気圏。

★第Ⅱ群の形相のエレメントの対比項
測地線(ジオデジック)……地球表面の任意の点を通る大円。これは、地表面の2地点間の最短距離ともなります。
放射線(ラジアル)……地球の中心から全方位に伸びる直線。これは、地表のわれわれに働く重力の方向とも一致します。

★第Ⅲ群の生命のエレメントの対比項
ゲニウス・ロキ……<地の精霊>。具体的には、地表と海中を覆いつくしているすべての生命。
人……人間。人は、「生命」という点から見れば「ゲニウス・ロキ」の一部であるが、「意識」という点からみると「ゲニウス・ロキ」の対比項となる。

6つのエレメント_Quid

以上のコンセプトを、実際に作品として作りこむに際して、まず全体を本のかたちとし、表紙を開くと中に6本の試験管が並んでいる構成を考えました。 試験管の一本一本が、それぞれのエレメントを象徴しています。

砂……試験管の中に砂を入れてあります。

水……試験管の中に水を入れてあります。

測地線(ジオデジック)……試験管の中に水を入れてあります。見た目は「水」の試験管と同じになりますが、意味は違っており、この地球上では、水の表面が常に測地線に沿うかたちとなるというところから、水を入れました。したがって、この試験管においては、水の質料的な側面は問題にならず、水面が測地線に沿う、つまり、水面そのものが、ある意味で測地線を表現しているというところにポイントがあります。

放射線(ラジアル)……試験管のゴムの蓋の裏から、金属製のチェーンで錘(粘土製)を吊るしてあります。これはまさに、地球の重力の働いている方向、つまり「ラジアル」を表現しています。

ゲニウス・ロキ……試験管の中に小石を入れてあります。「ゲニウス・ロキ」は精神的なものなので、特定の目に見える形態は取りませんが、世界の各地で、土地の精霊(日本では地の神々)を祀るに際して、岩がその依代(よりしろ)として用いられているケースが多いので、その岩の象徴として小石を入れてみました。この小石は、家の前で拾ったもので、今、私が住んでいる土地の精霊の象徴にもなっています。

人……6つのエレメントのうちで、最もわかりにくいのが、この「人」のエレメントです。人は、この地球において、いかなる役割を持つのか……環境を汚染し、資源を取り尽くし、愚かな戦いでみずからのみならず山河まで痛めつける、この人という存在……こういう存在は、もしかしたらこの地球にとっては異分子で、いない方がいいのではないか……そういう考え方もあるのですが、私は、やはり人には人としての、この地球におけるだいじな役割があるように感じます。それがなにかは、今はまだわかりませんが……ただ一つ言えるのは、その役割は、おそらく「意識」に関連したものではないかということです。自意識……みずからも、そして他の存在のことも省みることができるこの働きは、やはりこの地球においては、人類に特有のものであると言ってもいいのではないでしょうか。この意識のふしぎな働きは、今はまだよくわかっていない(十分に開示されていない)ので、最後の人を表わす試験管にはなにも入れてありません。将来、「人の役割」が十分に開示された暁には、この試験管になにかが入る……それはまた、楽しみでもあります。