輝く闇/コメント 1〜4

*1 プリュギアの王、ゴルディアスがゼウスに献上した荷車の結び目。複雑にこんぐらかって、誰にもほどくことができなかった。「この結び目をほどくことができた者は、アジアの支配者になる」という予言があって、いろんな人が挑戦したが、ことごとく失敗。そこへやってきたのがアレキサンダーで、「こんなのは想定内だね」といったかどうかは知りませんが、刀を抜いてばっさり。想定外の難問解決法として、のちに歴史的に知られるようになる。

*2 1997年7月、ガレリアフィナルテ(名古屋)にて。このときの作品は、コチラ→ INVISIトップへ

*3 1998年1月〜3月 名古屋市美術館にて

*4 少々長くなりますが、セシュエー著『分裂病少女の手記』からの引用です。
『「この物語はルネが彼女の病気から回復したすぐ後で、親しく、詳細に物語ってくれたものである。それは彼女が五歳の頃体験した、最初の非現実感についての記述から始まる。」  私は「それ」が現れた最初の日のことをとてもよく憶えています。ちょうど私達が田舎にいて、独りで散歩にいったときのことでした。私が学校の前をぶらぶら通りすぎようとしたとき、突然ドイツの歌が聞えてきました。子供達の唱歌の時間でした。私は歌を聞こうとして立止まりましたが、ちょうどその瞬間に、ある名状し難い感覚−−いうにいわれない、しかし後になってはあまりにも知りすぎるようになったある感覚、あの「非現実の混乱した感覚」に似た感じ−−に襲われたのです。もはや学校はそれと認めることができなくなり、兵営のように大きくなって、歌を歌っている子供達は囚人で、歌うことを強制されているように思われました。そして、学校や子供達の歌は、まるで世界から切り離されたもののようでした。同時に私の目は果てしなく続いている麦畑に止ったのです。無限の黄色が、太陽の光にぎらぎらしながら、滑らかな石造りの兵営のような学校に閉じこめられている子供達の歌と結びついて、私は不思議な不安に満たされ、泣きじゃくりながら家に帰りました。私は庭へ行って「事物をもと通りにさせる」ために、つまり「現実」に帰るために、ひとりで遊び始めました。これは後になって、いつも「非現実の感覚」として現われた、無限の広さとか、ぎらぎらした光、ぴかぴかしてしかもつるりとした物体等々の要素の最初の出現だったのです。私はどうしてこんなことが起こったのか、なぜなのか、説明できませんでしたが、ちょうどその頃お父さんが他に妾をつくり、お母さんを泣かせているということを知ったばかりでした。』
M. セシェー、村上仁、平野恵共訳『分裂病の少女の手記』1955年11月30日第一刷発行、1979年11月5日改訂版第12刷発行、みすず書房