「食」について/コメント 13〜18

*13 このお話しの裏をとろうと思っていろいろ調べましたが、ついにわかりませんでした。……これに一番近いのは、カトリックで、復活祭に先立つ聖週間の水、木、金曜日の深夜に行われる『ルソン・ド・テネブレ』(暗闇の朝課)で、このために作曲された曲としては、トマス・タリス、フランソワ・クープランあるいはマルカントワーヌ・シャルパンティエのものが良く知られています。この『ルソン・ド・テネブレ』では、最初13本のロウソクが灯されていて、それが聖歌とともに順番に消されていき、ついに教会の中が真っ暗闇になる……ということで、ヴィオールの名手のマラン・マレとその師のサント・コロンブを描いたフランス映画『めぐりあう朝』の中にもそのシーン(らしき)場面が出てくるといいます(私は、この映画は見たが、記憶にはありません)。ちなみに、「テネブレ」は「闇」で、ラテン語のtenebrae(闇・女性複数形)が原型でしょう。

*14 学生時代、京都の都ホテルで、宴会のボーイのアルバイトをやっていました。都ホテルは京都でも一流とかで、その料理もなかなか豪華でしたが、その宴会で、しばしば、急に欠席とか口に合わないとかで、コース料理が一皿丸々残ることがあります。すると、その皿は、適当に分けて、われわれの胃袋に収まる……という、これは一種役得のようなささやかな楽しみでした。しかし……一口、二口食べただけで残す……という人も良くいます。さすがにその皿にはみな手をつけなかったが……けっこう長くやっている洗い場担当の某さん(中年のおじさん)は、「それよこせ」といって、平気で平らげていた。そのとき、私の心の中に、明確な一線が引かれるのを感じました。……おそらく、この行為は、『オレはオレだ』ということの根幹に関わってくる行為と思います。ここを越えると、次のラインはおそらく『食人』でしょう。

*15 まんがなんかで、男が二人並んで山河をバックに豪快に放尿しつつわっはつは……という光景も見たように思うが、それでもやはり「出すモノ」は二人別個です。「入れる」場合のように「同じモノ」を「出す」には、手術で二人の泌尿器系統を接続する等の、かなり異常な手法が必要でしょう。

*16 ここでのメフィストは、鼻の長い天狗のような顔で描かれていますが、これは、伎楽の『抜頭』(ばとう)面から採られた造形にほぼまちがいないでしょう。なお、最も古いバージョンの『悪魔くん』(貸本マンガ版)と、後にリメイクして連載された『千年王国』では、この顔は、悪魔くんの12使徒の一人であるヤモリビトのものとなっています。『悪魔くん』のTVドラマ(実写バージョン)では、かなりマンガに近いメイキングが施されてはいたが、さすがに鼻はあそこまで長くなかったように記憶しています。

*17 原本が手元にないので、以下の情景描写や会話内容の裏はとれていません。ほぼこんなものであったという程度ですが、メフィストの言葉は大体正確であると思います。

*18 百目の子は、親の百目が「暗黒界の大ボス」的雰囲気のキャラ(映画『スターウォーズ』シリーズのジャバザハットに目を一杯くっつけた感じ)であるのに対して、実にかわいい10才くらいの男の子のイメージで描かれている(実際に、悪魔くんと一緒に小学校に通ったりもする)。むろん、身体の襞にはすでにたくさんの目が嵌めこまれているのだが……。