「食」について/コメント 1〜4

*1 『悪魔くん』の実写バージョンというのは、意外に知られていないが、やはり1960年代の終わりころに放映されていた。なんと、モノクロだった。それだけに、かなり雰囲気が出ていて、私は大変な秀作だったと思う。特に、主題歌が傑出していて、『エロイムエッサイムーーー』と呪文のような不思議な単旋律は今でも耳にはっきり残っている。全体として、『ドラキュラ』や『フランケンシュタイン』などのモノクロバージョンの古い恐怖映画を思わせるロマンティッシュな、濃厚な味わいの作品だった。放映局など覚えていないが、どこかで再放送をやったら絶対受けると思う。フィルムが残っていれば……。

*2 VENIはVENIO(来る)という動詞の直接法完了形の1人称単数、VIDIはVIDEO(見る)という動詞の直接法完了形の1人称単数、VICIはVINCO(征服する)という動詞の直接法完了形の1人称単数。したがって、すべて1人称単数の主語であるEGO(私)が省略されている。無論、ここでの「私」はジュリアス・シーザー(ユリウス・カエサル)のこと。なお、あるインターネットサイト(www.kitashirakawa.jp/~taro/latin7.html)によれば、関西では、某電気店のCMで、『来た、見た、買うた』というのが有名だそうな……。

*3 元の言葉は『デウス エクス マキナ』(DEUS EX MACHINA  機械仕掛けの神)。元々は、ギリシア悲劇で、物語の筋がこんぐらかってどうしようもなくなったときに、突然舞台に機械仕掛けの神(アポ メカーネス テオス)が登場して、絶対的な力をふるってすべてを有無をいわせず解決してしまう……という、いわば無茶苦茶なシナリオ作法から来ているという。「機械仕掛け」というのは、この神を演ずる役者が、クレーンのような装置で舞台に登場したからとか。このやりかたは、すでにアリストテレスの時代から、一種の「ルール違反」として評価は良くなかったようだが、現在では逆に、科学と魔法が融合した不思議な力として再評価?されているようにも思える。キューブリックの映画の『時計仕掛けのオレンジ』(原題:A CLOCKWORK ORANGE)というタイトルにも、そのような雰囲気は漂っている。

*4 著者名も出版社名も覚えていないが、子供向けの科学啓蒙書だった。著者は非常に変わった人で、「なぜ?」というのが科学の発端であるということを力説していて、子供心に大いに納得・感心した覚えがある。この著者によると、「用意ドン!でみんなと逆方向に走り出したり、郵便ポストにおじぎをしたりという変わった人がいつの時代にもいるものだが、こういう人が“科学の心”を拓いてきた」ということで、この部分には大いに共感した。「とにかく人と変わったことをやりたい」という私の生まれついての傾向性に保証を与えてくれたような気がする、とにかく変な本だった。